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2018年07月09日

コダーイ 無伴奏チェロ・ソナタ ヤーノシュ・シュタルケル 1950年録音


何度聴いてもすごい録音で演奏だと改めて思う。そして曲の真髄を脳髄まで伝えてくれる演奏記録は少ない。録音100年後にクラシックファンの記憶やカタログに残っているCDというのはどれくらいあるのでしょうか?バッハの無伴奏チェロ組曲やフルトヴェングラーのバイロイト「第9」などが真っ先に脳裏に過りますが、曲はマイナーながらこのシュタルケルによるコダーイの演奏もそれに相応しい名盤です。

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録音は1950年と古いですが、オンマイクで現代の録音と遜色のないレンジの広さ。リアルな音という部分においてはこれを凌ぐ同曲異盤を知らない。(彼の再録音でもここまでは鬼気迫っていない)バルトークのご子息が録音担当していたというのも大きいかもしれない。楽曲理解度が高くないとこのような音の録り方はできない。「松脂が飛ぶような録音」と有名です。しかし第1楽章冒頭のようにふわっとしたチェロの香りもしっかりと漂う名録音でモノラルであることなどどうでもよくなる。

コダーイ 無伴奏チェロ・ソナタ
チェロ:ヤーノシュ・シュタルケル
1950年録音
録音  3.80点  演奏  4.80点



包み込むようで柔らかくも身悶えるような第1楽章冒頭から耳を強く引き付けられ、その後は変転していく音楽に引きづられるまま。この演奏は特にイヤホンで聞くとよりその近接マイクによるリアルな音、そしてスタジオノイズが感じられ、すぐ横で演奏しているように聴こえます。呼吸すら同期するほど。よくこのSP時代にシュタルケル特有の柔らかで太い低音域の音と逆にピチカートの鋭さをマイクに拾わせれたなと驚きます。

このCDではシュタルケル初録音となった1948年録音との聴き比べができますが、やはり総合点で1950年録音のほうが勝る。前者はやはりノイズが多すぎて演奏鑑賞に支障が生じる。後者はノイズも少なくピアニッシモからフォルティシモまでほぼ歪みもない驚異的な録音だと改めて認識する比較演奏がカップリングと思ったほうがいい。演奏は素晴らしいけど。

フルニエの演奏記録があったとは意外ですね。

激しく感情が流転した第1楽章から侘び寂びを感じる第2楽章気づけば進んでいる。ただしすぐに第1楽章のような激しさが戻ってくる。ただその一気の感情変化は内的ですぐに静まり、内省的な旋律と太いピチカートによる鼓動による静なる部分を引き立たせる前触れだったのかと。その後は孤独なチェロの歌が続くが、第1楽章と第3楽章を繋ぐように徐々に両端楽章の主旋律が伏線のように埋め込まれていく。中間部後半のピチカート単音で弾かれるピチカートの音はまるで琵琶の音のよう・・・後半になるにつれオブリガードが無くなり単音で虚無感が漂う。


最近のイヤホンは舐めてはいけない。ヘッドフォンよりも濃厚でマイルドな低音を脳内に注ぎ込んでくる。一人でいるとずっとはめっ放しになる・・・


そこで一気に第3楽章が始まる。第1楽章よりも思い切りよく前進性がある。裏の拍が強調された作曲技曲と演奏の一体感。チェロという楽器の表現の幅をすべて使い果たすぞというように太い低音からヴァイオリンのような切り詰めた高音とチェロならではの心臓の鼓動のような太く響くピチカート。

自家薬籠中の物とはこういうことを言うんでしょうね。上の演奏姿でもわかる通りシュタルケルの演奏は、楽譜の線など関係ないというように曲全体をまるっと身体に含んでその時々の旋律・音型に応じて当意即妙に演奏手法と音色を千変万化に変える。このモノラル録音でも十分チェロを叩きつけるような胴鳴りする音を感じることができる。この1曲でバッハの無伴奏チェロ組曲に十分匹敵するような内容を備えているように思える。バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のシャコンヌだけで回りの世界を変えてしまうかのように。

最近の演奏(といってもかなり前になってしまっていますが)ではウィスペルウェイの演奏が好演でした。

しかし、上手いなとは思うけど、結局シュタルケルに戻ってくると「おそらくまだ50年はこの演奏を超える録音や演奏は出てきそうにもないな」と思う。ジャクリーヌ・デュ・プレが生き返ってレパートリーに加えれば可能性があるくらいの確率。

何か新しい録音でもブログで取り上げたいものだと思うのですが、今後10年先もカタログに残るような新譜があっただろうか??蔵出し放送用録音のほうが話題になるとは寂しい限りです。デュトワにはスタジオに籠ってワルターのように録音することすら許されないのだろうか??ラヴェル・ドビュッシー再録音や武満作品集などいい録音になりそうなのに。
ラベル:ヒストリカル
posted by 悩めるクラヲタ人 at 08:19| 器楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

グールドの「ゴールドベルク変奏曲」の伝説が出来るまで〜Unreleased Recording Sessions


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グレン・グールドが1955年に録音したバッハ「ゴールドベルク変奏曲」。21世紀になっても色あせない名盤です。今回はリマスタリングを売りにするのではなく、その録音過程のすべての記録を曝け出すという新たな観点から「The Goldberg Variations-the Complete 1955」が制作され、すべてのアウトテイクと完成録音CD+重量LPで発売されました。


AMAZONで発注していたのですが珍しく入荷が遅れ、タワーレコードまで出かけて入手しました。最後の最後まで買うのを躊躇しました。「アウトテイクには確かに興味があるが、果たして何回も聴くのだろうか?」という言葉が頭を過るからです。しかし、グールドがどういう過程でテイクを繰り返し、どのテイクを選び出してあの名盤を創っていったのかという興味に負け購入。

思ったよりかもデカく重い。テイク中にプロデューサーと話をしているグールドの言葉も英語で書き起こしてある詳細なブックレット、しかもLPサイズで装丁もしっかりしているので分厚く重い。それだけ歴史的貴重性を持たせるという制作側の想いが詰まっている。

早速気になるアウトテイクを聴いてみる。最初のアリアだけでも10回以上も弾きなおしている。このセットに興味を持たれている方は「同じ曲・変奏を違う解釈で弾いているのではないか。それを聴いてみたい」という想いがあるでしょうが、そういうテイクの集まりでは無い。聴いているとグールドの頭の中でどのように演奏するかがほぼ固まっている。その為、「いや、ちょっとそういう音じゃない」「もうちょっと右と左の音の重ね方のバランスが一部違った」などという点で修正を繰り返し、頭の中にある音楽に近づけていく作業が録音されている。当然ミスタッチによる弾きなおしもあります。

ほぼ同じ解釈の弾きなおしが連綿と続いていくのですが、聴いていると「あぁこれは弾きなおすな」とか「ここが気に入らなくなるだろう」とかグールドの思考の一遍が垣間見れるような気がしてきます。「このテイクなら満足して終わるな」(外れる場合もありますが)とかわかってくるのが面白いところ。どちらかというとプロデューサーの目線で聴いている自分がいます。

昔発売されていたアウトテイクの一部ですね。

マニアックな方にしかお薦めできませんが、限定発売で今後もう2度と発売されることは無いでしょう。昔にはレコード1枚作るのにどれだけの苦労と詰め込む想いがあったかを垣間見れる貴重なBOXであり、コレクターとしては買いでしょう。今はやりの廉価BOXとは一線を画します。そのうちコレクターアイテムとなってヤフオクに出てくるような気もします。

このBOXを購入して車の中で聴きながら帰った時には、何か聴いてはいけないものを聴いているような気持もわいてきてしまいましたが、徐々に同じ繰り返しを聴く中で徐々にグールドの肉声とプロデューサーとのやり取りの中に入り込んでしまい、共にその場に居合わせているような錯覚にも陥りました。今回の発売に関して「グールドが生きていたら絶対に発売を許可しなかっただろう」という記述がプロデューサーノートに記載があります。多分そうでしょう。しかし、これほど異人・奇才と言われるグールドをここまで身近に感じさせてくれる記録は無い。

まだ完全盤(完成品)のCDとLPまで辿りついていません。こっちのテイクを使っても良かったのでは?というテイクを聴けるのも面白い。勢いがつきすぎたが故の不採用もあります。前後の変奏とのバランスを考えた上での採用テイクもあるというのも知れる。まさかこんな貴重な録音がこれほど大量にいい状態で保存され、発売されるとは誰も想像できなかったでしょう。しかし、面白いセットです。何回も聴くかはわかりませんが、これを聴いて1955年完成盤を聴くと、全く違う感慨に浸れることでしょうし、見方も180度変わる。

コレクターズアイテムとして、また後に高騰するでしょうから投資としても購入されても面白いかも。でもこれは「レコード芸術」の名に相応しい・・・
Glenn Gould - The Goldberg Variations - The Complete Unreleased Recording Sessions June 1955 [7CD+LP]<完全生産限定盤>

posted by 悩めるクラヲタ人 at 11:21| 器楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

ショパン バラード第1番 ホロヴィッツ 1968年ライブ録音


フィギアスケートの羽生選手がプログラムで使用していたショパンのバラード第1番。彼はツィメルマンの演奏でないと駄目だそうです。私はこの曲、ホロヴィッツかフランソワしか駄目です。

ショパンのバラードは、あまり好きではありません。ルービンシュタインのバラード全集をSACDで持っていますが、聴くことは稀。ホロヴィッツの演奏でバラードの1番のみを聴くことが多いです。ショパンを聴くというよりも、全盛期のホロヴィッツを聴くために。


ショパン バラード第1番ト短調
ピアノ:ウラディーミル・ホロヴィッツ
1968年 ライブ録音

※複数の録音記録があります。基本外れないです!

前に紹介したカーネギーホール・ライブBOXには、この日の演奏会のDVDがついています。

日によって調子が違うのもまた一興。


全盛期のホロヴィッツの打鍵の凄いこと。曲頭から妖しげな雰囲気ですが、クライマックスの怒涛の攻めは何度聞いても打ちのめされます。映像で見ると迫力が増します。この頃のホロヴィッツは身も心も健全でした。

ただベートーヴェンを弾いても、よくも悪くも全てがホロヴィッツの演奏になってしまう。自らの強い打鍵を活かすためにピアノにいかれた調律(ハンマーにラッカー塗って硬くする!)を施していたと言うから驚き。

通常超絶技巧を弾くには、指を丸めて引くスタイルが一般的ですが、彼の場合見ての通り鍵盤にフラットな指のスタイルで超絶技巧を駆使しています。それが彼独特の音色の秘密の一つでしょう。強烈な打鍵でのフォルティッシモから妖しい病的なピアニッシモまで音色を操ることができるのは、ホロヴィッツだけでしょう。

音質はこちらのほうがいいかと。


スタジオ録音よりもやはりステージ向きの演奏家だったと思います。プログラムには彼が偏愛した曲ばかりが組み込まれ、ちょっと癖がありますが。感性のみで演奏しているので、解釈も独特で個性が強い。

ホロヴィッツが、ラ・カンパネラを弾いたらかなり面白い演奏になったことでしょう。間違いなくさらに超絶技巧に編曲して弾いたでしょう。録音あるのかしら?

バラードに話を戻しますが、最初はルービンシュタインを聴いてからの方がいいです。ハイブリッドSACDですし。

カップリングはスケルツォ。スケルツォはルービンシュタインの方が曲に向いています。
ラベル:ホロヴィッツ
posted by 悩めるクラヲタ人 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 器楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする