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2017年11月09日

リスト スペイン狂詩曲 エフゲニー・キーシン 1990年ライブ録音


リストのピアノ曲はあまり好みませんが、ホロヴィッツの弾く「ハンガリー狂詩曲第15番”ラコッツィ行進曲”(ホロヴィッツ編曲版演奏には口があんぐり)」と有名な「ラ・カンパネラ」、そしてキーシンの弾くスペイン狂詩曲はたまに無性に聴きたくなる時があります。

他の2曲は有名ですが、このスペイン狂詩曲はあまりメジャーでないのか録音も少ない。ハンガリー狂詩曲を全曲録音しているフランソワも取り上げていない。正直、この曲に出会ったのは偶然。キーシンと小澤/ボストンsoのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」の日本盤ボーナストラックに収録されていたから。メイン曲はバックがあまり・・・であまり聴きませんが、このスペイン狂詩曲のために車に持っていくことが多いCDです。

リスト スペイン狂詩曲
ピアノ:エフゲニー・キーシン
1990年 ライブ録音
録音  4.60点   演奏  4.80点


若い、そして安い。ラフマニノフの協奏曲もいい演奏ですよ。何せあの「レコード芸術」誌特選盤ですから(笑)

下記youtubeで聴いてわかる通り、演奏時間12〜13分で超絶技巧と集中力が求められる曲ですが、魅力的な旋律に満ちた華やかな楽曲でもあります。演奏効果も高く余程下手な演奏でない限り「ブラヴォォ!」と叫びたくなること請け合いです。


ここでのキーシンはキレッキレ。超絶技巧の難曲をさらりとした梅酒のように闊達に弾いていきます。そして表情変化と音色変化が多彩。指が流れることなく、しっかりアクセルとブレーキをコントロールしている。この演奏を聴けばもう他の演奏はかったるく感じます。明確な左手、煌びやかに響く高音。ピアノという楽器の魅力を余すことなく耳に届けてくれます。そのテクニックにうわぁーと感心しながら、愉しい旋律が次々と目の前を通り過ぎていきます。


ベルマンの演奏。ちょっと力技でキーシンと比べ重い。これはこれで見事ですがちょっと詩情が足りない。

そしてこのキーシンの演奏、マイクがまた見事に演奏を捉えている。少しオン気味ですが耳に刺さらない適度な音で、音数が多いこの曲を混濁させることがない。当然キーシンがそのように演奏していることもあるのですが、録音の方向性も同じ向きになっている。少し大きめの音で聴いても決してうるさくならない。ピアノという楽器の迫力と美しさをよく表出しています。

若きキーシンのベスト演奏の一つに挙げられると思います。メジャーな曲ではないので誰も推さないと思いますが、これは凄いです。協奏曲の録音はオフ気味で、オーケストラの音が少し薄く感じる。ラフマニノフもこのように録音すればもっといい演奏に聴こえたのにと残念です。でも、この曲だけでお釣りは出るCDです。


名曲の名盤ばかりのキーシンBOX。いい時代です。。

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2017年11月08日

ショパン 24の前奏曲 アルフレッド・コルトー 1957年録音


コルトーを好きな人でもあまり知られていない最晩年、コルトー80歳の時の録音。この後にはベートーヴェンのピアノソナタ断片を録音したのみで終わったので、コルトー正規の録音としては同年ショパンのバラード全曲とともに最後のまとまった録音です。
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コルトー・アニバーサリー・エディションBOXで初めて陽の目を見た録音で、それまでは私も海賊盤でも見たことが無かったです。元々テクニシャンでは無かったコルトーは来日した1952年時点でテクニックはほぼ破綻していて、当時の批評を紐解いてもいい言葉はあまり見つかりません。当時としては信じられないほどコンサートの数と滞在期間(9月末〜12月初旬まで!)だったのですが。この録音は如何に?

ショパン 24の前奏曲
ピアノ:アルフレッド・コルトー
1957年 スタジオ録音
録音 3.50点  演奏 4.40点


この値段で、ほぼすべてのコルトーの正規録音が聴けるとはいい時代です。コルトーのベートーヴェンのピアノソナタの断片が聴けるだけで十分お釣りがくる?

生涯にこの曲を4度正規録音しており、玄人筋の方からは一番最初の1926年録音の評価が高い。ですが、音はこの好リマスターのCDをもってしても悪い。私はまだ1933年、1943年録音の方が受け止めやすい。しかしミスタッチの数は徐々に増えていきますが・・・基本的に1943年までの3つの録音は「24の前奏曲」が連綿たる曲として弾かれています。


1933年録音。この時すでに第13曲の片鱗は聴けます。

1943年から14年経ちテクニックは著しく衰えてしまったこの録音。正直に申し上げて「これはショパンの曲なのだろうか?」と思う程、先の録音とも違うしポリーニ、アシュケナージ、キーシンなどの演奏とも大きくかけ離れていて比較しては駄目。点数もつけないでもいい位。同じ楽器から?同じ作曲家?同じ曲とは思えない演奏と「響き」。ルービンシュタインがショパンを明るく健康的な曲として世に広めましたが、コルトーは逆にショパンの陰鬱な面に光を照らし、そこに独自の視点を持って歌わせた旧世代の演奏。テクニック云々は言ってはいけない時代の演奏です。

今のコンクール予選でもコルトーよりも正確に弾けるピアニストはたくさんいるでしょうが、伝えるピアノを弾ける人は一人もいないでしょう。特にこの1957年録音は凄まじい表現意欲というか、長い旅路を歩んできた人の遺言みたいな記録です。コルトーの演奏は、晩年になるにつれて左手の独特な表現が強まり、拍子や拍節感が無い感じも強まって行ったと私は思います。何より弾くというよりもピアノという楽器をいかに「鳴らし響かせるか」ということに重点が移っていった。そこには彼の聴力の衰えも影響していたのかもしれません。


1952年録音の「英雄」ポロネーズ。酔っぱらっているわけではありません。ホロヴィッツやブレハッチ聴いた後だと「??」となります。

最近のショパン弾きの中では一番いいですが、良くも悪くも素直な個性。

ホロヴィッツと違って叩く左指では無く、響く左指。以前紹介したシューマンのピアノ協奏曲でも印象的でしたがそれがさらに進んでいる。それが上手くいくとピアノが銅鑼のように響く不思議な感覚。当時のEMIとしては、録音がいい方なのでさらに明瞭に(但し曲によって録音にもむらがある)。DECCA録音だったら聴いてられないだろうなという程。ただ第7番の太田漢方胃腸薬でおなじみの曲では、高音が印象的でこんなに短い曲でこうも音と印象が変わるものかと驚きます。まるでドビュッシーの「子供の領分」の1曲みたい。第8番・第12番のようなテクニック的にきつい曲だとやはりきつそうですが、何度も録り直しをしたと思われ1952年のビクター録音程の一発撮り出来不出来激しい感じでは無い。


ただその影響もあってか24曲の繋がりは消え、1曲1曲に表情づけが違い、短い曲や「雨だれ」その1曲だけでストーリーが完結するショートムービー的な演奏。高音が印象的な曲と銅鑼の左手が襲ってくる曲とに大きく分かれています。そしてその眼差しが深い。そんな音符書かれてたっけ?と思う程左手が猛烈に暴れる第14曲からの「雨だれ」はやられます。全曲だけでなく「雨だれ」だけで何度も録音されていますが、晩年になればなるほど泣ける演奏になっています。ビクター録音でもテンポがゆっくりな分テクニック的にも出来がいい。第24曲最後のD音3つもそんなに強く打鍵せずに深く響かせることで静かな余韻に浸れます。このD音を弾いてコルトーは何を思っていたのだろうか・・・

個人的には1957年録音がコルトーの刻印が強く感じられ好きというか唯一無二の存在。この後に1943年録音を聴いても普通に感じてしまう。それほど圧倒的に演奏行為とは何ぞやということを考えさせられてしまう演奏です。分売されても酷評されていたでしょう。このBOXをいろいろ聴いているうちにコルトーの語り口にやられた後に聴くと、なるほど納得、ぐうの音も出ないやと圧倒されてしまう。生きた時代が違い、経験で身体で感じ得た教養と知識の裏付けが豊富で、ウィキペディア時代の人間からはこの音は出ないなと思ってしまう夜でした。

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posted by 悩めるクラヲタ人 at 21:51| Comment(0) | 器楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

バッハ 無伴奏チェロ組曲 全曲  フルニエ 1960-61年録音


この曲についてはクラシック鑑賞歴が長いにもかかわらず、「まだ理解できない」という判断でカザルスの世界的遺産CDを入手したのも40歳になってから。
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フルニエで聴いてようやく聴くことは出来るようになったと感慨一入。

バッハ 無伴奏チェロ組曲(全6曲)
チェロ:ピエール・フルニエ
1960−61年 スタジオ録音
録音  4.40点   演奏 4.60点


このデジパック仕様は薄いし、紙の質感とデザインがオリジナルスよりいい。
ただハイレゾで聴いてしまうと。安いし!


息遣いと指先の触感すら感じる。

一番いいなと思ったのは有名な1番よりも6番です。30歳の時にはこのチェロ組曲の良さがまだまだ理解できず、どの曲がいいとも言えませんでしたがようやくです。無伴奏ヴァイオリンの方はシャコンヌから始まり、比較的若い頃から理解できましたが、チェロという楽器自体が如何せん地味で・・・時間かかりました。


これは3番の演奏映像。

今目の前でカザルスの録音が鳴り響いてますが、フルニエとは全然違うと感じます。テクニック・録音がやはりカザルスはかなり劣ります。その代り貧しい録音(オーパス蔵の復刻は見事ですが)の中からでもカザルスのこの曲に対する矜持が感じられ、骨太でがっしりと重みのある表現をゴリフラから生み出しています。





カザルスの次にまず名前が挙がるのがフルニエのCD。フルニエと言えば「気品がある」「高貴な音色」となりますが、同じこと書くと評論家や多くのブロガーの盗作みたいなので使いたくない。では、どう表現したらいいのか?

車の中でふと思い出したのが、細川俊之さんのナレーション。チェロは人の声に近い楽器とよく評されます。低く安定した魅力的な声。素材(文章・セリフ)の良さをそのまま、何も足さず何も引かずに活かす。

普通の演者なら強く感情を込めるところも、通常と同じようなトーンで話しながらしっかり表現できる。自然体でそのまま料理しているにもかかわらず難解なものは分り易く、普通のセリフは何か意味があるように感じさせる。例えば「マロニエの香り」とただ話しただけで、何もしていないのにその雰囲気が伝わってくるし、細川さんの個性・味がしっかりと刻み込まれ素敵な言葉に変わる。


フルニエの第1組曲。

フルニエのチェロも同じように感じます。特段目を引くような解釈はしていないのだけれども、しっかりそこにフルニエの印象が残る。ドヴォルザークの協奏曲を聴いた時にも物足りないようでもの足りる演奏で、フルニエにしかできない「芸」が刻印されている。この無伴奏をカザルスと聴き比べると、より鮮明にフルニエの音が頭に刻み込まれていると感じています。

研究や解釈・アゴーギクも表現に大事ですが、自然な語り口で相手に自分を印象付けることがどれほど重要で難しいことであり、それが「芸事」を極めるということの一つの奥義だなと、フルニエの無伴奏を聴いて改めて感じ入りました。

最近の録音ならば、マリオ・ブルネロのCD。

渋い音色だけでなく、攻めの姿勢も見せてくれる。ただ結局はフルニエが恋しくなる。

無伴奏をカザルスを語れるようになれば、一人前ですね。

まだまだです。

posted by 悩めるクラヲタ人 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 器楽曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする